長谷川集平とフリクション

先日詩集を買った古本屋にまた行って来ました。

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水中書店というお店の名前を今回の来店で知りました。

凄くいい名前です! ロゴも素敵ですね。


さて今回は<音楽未満>という絵本作家の長谷川集平さんという方の本を買いました。


色んな音楽家(クラシック、ロック、童謡、サンバ、ブルースなど様々)の長谷川さんなりの見え方と
その音楽家のイラストが描いてあり、そのイラストに惹かれて買ったんですが、
文章もかなり良いものでした。

その中の一つ、フリクションという日本のロックバンドのボーカル&ベースのレックの言葉がとても印象的でした。


<テクニックっていう見方自体が狭い。ギターと自分がどこまで知り合えるかなんだ。
そう、自分なりにっていうんだったら、今はそういうのすごく薄まってるよね。
そうなんだよ! 根本的にギターとか言う前にいろんなところで自分が薄くなっちゃってるんだよ。
情報に薄められちゃってる。

あらゆる意味で自分の歌う事、そうしたいと思ってる事を普通のレベルで出来ているか、しようとしてるかって事。
見てる方が、わっ!凄いなっていう様なのをしたがる、ていうのは自分を低めてるんだよ。
自分にも可能性があるって事を忘れさせちゃうものじゃ、しょうがないんだよ>


読んだ後で、<確かに!>と納得する部分がありました。。

エンターテインメントであれば、つまり商売と捉えるならば必要なことかもしれないけど、
表現には必須のものとはいえないだろう。

ヘンリー・ダーガーという一人のアメリカ人。 その人の職業は掃除人。
彼の死後、彼の部屋からは、大量の文章と絵が出てきて、そのクオリティの高さに驚嘆されている。

彼は死ぬ前に、自分の持ち物をどうするかと聞かれ、<捨ててくれ>と答えたという。

彼は好きでそれらを描いて(書いて)いたのであり、誰かに見せるためでもないし、作品という意識さえなかったのだろう。


彼の死後、彼の作品は世界中で個展という形で、様々な人の目に触れている。
彼自身が望んだことではないのかもしれないが、凄いエピソードだなと思う。

死後にも作品が残り続けるということは、その人が残した痕跡は永遠に残る可能性がある。
それはある意味、永遠に生きていることなのかもしれない。

だって世代が違うから知らないなんて話しをよく耳にするが、そんなこと言ったら、ベートーベンが
生きていた時代の人で生き残っている人なんていないのだから。 (木とか石とか土に記憶能力があれば別だが)


結果的に人が見て凄いと思うことと、そう見られようと狙ってすることは同じことではないだろう。
(まあ凄いと思われるところまで努力できることは誰にでもできることではないけれど)

表現という視点だけで見れば、技術は不可欠ではないとも言える。
ロンドンパンクはテクニックがなくてもかっこいいバンドが出来る代名詞だとも言えるし、テクノは楽器が弾けなくても、音楽が作れるという点で画期的だ。(ただしセンスは重要!)

打ち込みでも温かい音楽は作れるし、ようは人間力なんだろうなあと思う。

ただ、表現というだけでなく、誰かを幸せな気持ちにするために、努力し、エンターテインメントとして昇華させられるレベルまで持っていけてる人はやっぱり凄いと思うし、あくまでどういう気持ちで何をやるのかという違いな気はします。 自分と正しく向き合うことは大事だと思います。


良い言葉との出会いは大事ですね。

そして、長谷川さんのレックです。

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素敵な絵です。 やっぱ絵を描きたくなってきました(笑)


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